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日本に生まれたのも、十日町で暮らしたのもご縁

小学校の同級会

元ゆずり葉編集委員・松崎 房子

 70年余になる小学校の同級会。今年で卒業70年・35回の節目の会になった。今後を思うと幹事役が引き受けにくい。これで一区切りかなと思いつつ、神戸へ向かった。

 その前の3〜4年のコロナで会えなかったのが、かなりの痛手であった。

 常連だった数名が他界したり、転居先が判らなくなったりしていた。以前から決めてあった幹事役が今年はどうでも開催すると決心してくれた。毎年10数人はいる参加者も9人。今後はどうする? 『せっかく積み重ねた大事な会だもの何とか続けよう』となった。

 遠隔地からなので、幹事は受けられない、が連絡係はできるよ。会場はここで。日にちは1年後の同じ日。その場で1年後の予約をした。卒業時は54人、いろいろあって現在連絡が取れるのは半分以下。同級会第二部となった。おまけにそのクラスは5年生の2学期から転入した転校生だ。

 なぜこの様に拘るのかを考えた時、ふたつのきっかけがある。ひとつは母の言葉だ。戦後もかなり経ち、ようやく少しは生活に余裕らしきものが持てるようになった。友人との付き合いを大事にしていた私と違って、母は友人に会いに行くことも無し、連絡を取るでもない。

 お友達はいないの? との問いに「生きているのか死んでいるのか?」と答えが返ってきた。胸を打たれた。

 青春時代から戦争の色濃い時代であった。その後戦争に翻弄された年頃だもの、友達どころではなかったろう。戦争の影響がこんな形で現れるとは…。

 もうひとつは御地で取り組んでいた、ボランティアミニコミ紙『ゆずり葉』の投稿。同級会を続けておられる、かなりのご年齢の方のお話を、すごく羨ましいと思った。

 夫とも永年人生を共にしていて60年になろうとしている。が、成人後のお付き合いだ。一人っ子で両親・祖父母も他界している私には、同級生は幼少期を知っている貴重な友人だ。戦後のめちゃくちゃな時代を乗り切ってきた。何もかも知られているので、格好つけても始まらない。生き抜く同志と思っている。全てはご縁だと大切に、大切に思っている。

 地球の人口も増え続けているそうだが、何十億人いる人間の中で出会う事だけでも、ご縁というしかない。日本に生まれたのも、十日町に暮らした事があるのも、誰が導いてくれたのかもわからないご縁。

全市一区だが住民の頼りは地元議員

十日町市議会の定数改定を考える

会社員・村山 朗

 十日町市議会は、議員定数を24人から19人に減らすそうです。合併時(2005年)には5市町村の議員を単純に合わせただけの定数は40人(その時点の人口は6万2058人、以下カッコ内同じ)でしたので、多いのはやむを得ないですが、2009年に30人(6万0219人)、2013年26人(5万8470人)、2017年24人(5万5251人)と定数減を繰り返してきました。

 今年6月現在の人口が4万7159人ですから、定数減もやむなしという結論でしょうか。偶然ですが、合併前の旧十日町市の議員数と同じになりました。その時の旧十日町市の人口は約4万2000人(筆者推計)。 

 数字を並べると愕然としますが、十日町市の人口の減り方は激しいですね。合併から18年で25%も減っています。日本の人口もその間減っていますが、5%くらいです。 いわゆる人口流出に歯止めがかからない状態です。2019年の「第2期十日町市人口ビジョン」では、将来の人口を数年ごとに推計していますが、すでに2年早く2025年の推計人口に達しています。2035年には4万人と推計していますが、それよりも早く4万人を切るでしょう。 十日町で生まれ育った筆者としては、3万人台の十日町市は想像したくないですね。

 市議会の定数削減については、数年の議論を経たとはいえ自分たちの首を切る決断をしたのですから、勇気ある決断です。数年前の本紙に、人口減少が著しい地域の方の「定数減で自分たちの声が、市政に届きにくくなって困る」との声が載っていました。市議会議員は、全市一区なので、地域代表ではないとの論もあるでしょうが、実際には、住民は思想信条が違っても地元の議員に困りごとや、不便なことを相談するのではないでしょうか。

 筆者の地域では地元議員がいなくなり「ハテ、誰に相談すればイイヤンだロッカ?」ということが起きています。市の担当者に直接話せばいいことだ、と思っていてもなかなか腰は上げにくいものです。議員には、地元の住民によって選ばれる面がありますので、地元の声を軽視するわけにはいきません。

 一方、予算審議や条例制定にあたって十分に議論を尽くして市政に関与するという大切な使命があります。十日町市の人口ビジョンを拝見すると、近いうちにまたぞろ人口が減ったから議員を減らさねばならない、という議論が持ち上がってきそうです。

 その時には議員自身が率先して、自身の使命・役割を十分に広報し、議場以外の公開の場でも議論をすべきではないでしょうか。減らすだけが能ではありません。

なんとなく幸せな気持ちになる…まるでふるさとのような…

ユニークな出雲神話の世界

経済地理学博士・清水 裕理

 島根県の出雲大社に行って来ました。出雲大社の周辺は、ゆったりと出雲平野が広がり、田園風景のなかを、宮崎駿監督の映画「となりのトトロ」のモデルといわれた1両編成の電車が音をたて、うれしそうに走っていきます。その田んぼでは「仁多米(にたまい)」というブランド米がとれ、お酒づくりが昔から盛んであったとのこと。さすが神様は、よい場所をお選びになっています。

 お社の後方に3つの山が空間を包み込むように連なり、西に約1キロ歩いたところには夕日が美しい海岸。10月は、その海岸に全国の神様方がご到着になり、夜に神迎祭(かみむかえさい)という神事が行われます。海辺に海蛇が現れたら神々が到着した合図で、出雲大社に向かわれると、敷地内にお泊まり処が用意されています。

 出雲大社では、2013年に行われた遷宮の際に、多くの参拝者がありました。その後も、予想に反して、来訪者がそれほど減っていないのだそうです。案内をしてくれたベテランの女性ガイドさんの話はウィットに富んでいて、「国引き」と「国譲り」の神話を話してくれました。

 「国引き」は、出雲平野は半島になっており、海に突き出ているのですが、朝鮮半島から一部、高志(越、古志)と呼ばれた北陸地域から一部の土地を引っ張ってきたとされています。その際に、この地で最も高い大山(だいせん)と三瓶山(さんべさん)を杭に見立て、三つ編みにした丈夫な綱を杭に引っ掛けて引っ張り、その綱は長浜になったのだとか。なんともユニークで雄大なお話です。力持ちが山をまたいで体いっぱいに引っ張っている姿が目に浮かぶのですから、思わず微笑んでしまいます。

 「国譲り」は、国を譲るように迫る天照大神(あまてらすおおみかみ)に、それならと国を譲り政治経済を任せるのですが、その代わりとして、目に見えない「むすび」の世界はこちらでと、役割分担をしたとのこと。これも、とてもユニークなお話です。

 冒頭に、出雲大社の参拝者が減っていないと書きましたが、それは、目に見えないご縁を求める人が、世の中で増えているからかもしれません。出雲大社に行くと、どちらかというと神社の威厳や風格というよりも、素朴でやさしい雰囲気が感じられます。

 豊かな自然、ユニークで創造力豊かなお話、ガイドさんの名調子も合間って、そこには具体的な教えがあるわけではなく、でもなんとなく幸せな気持ちになる…まるでふるさとのような…新潟と出雲の交流は海でかつてはもっと活発だったのかなぁということも思いながら、貴重な経験となりました。

「左岸から、右岸へ 来れるなら 来てみろ」

チョウからのエール

秋山郷山房もっきりや・長谷川 好文

 右岸のそこは景色が良いのだ。目の前にどか~んと2038メートルの鳥甲山が広がり、時に旅客機が高度3000フィーとで山を飛び越えて行く。南に面した集落の周りは日当たりも良く、何だかカメムシだって少ないように感じる。良いじゃないか!と誰だって感じるだろう。しかし私にするとそんな簡単な事で右岸に移ろうと思ったのではない。

 ここに来て、さて何年になったのかと思っても判然としないが、来年は後期高齢者になる。厳しい土地での一軒家と一人暮らしがこの先、続けられないと感じたのが本当の所だ。ことに真冬の雪のなかでのひとり暮らしが何とも億劫と思うようになった。

 この頃は自分の体力や発想の回転にもそれなりにブレーキがかかって来たと感じる。老いてひとりの冬は何についても面倒になってくるのだ。

 そんな時、右岸で旧民宿が空いたと聞いた。古い家で、この老人が家の改築や普請をひとりで対応出来るのかと心配になった。知り合いの方に相談しても「あなた、今年幾つになった?」と問い返される。そうなのだ、普請などというものはお金以上に体力・知力が必要になる。それが出来るだろうか? と言ってここで30年近く暮らした者として、都会へ戻るのも簡単な事でありはしないのも本当のことだ。

 さて、だからといって二進も三進も行かなくなってもいられない。そこで私は考えた。右岸で昔の旅宿を復活させて、大昔の中国の国で行われた易姓革命に学んで、亡き後を託せば良いのではないかと。そうやって宿主が変わっても、ここへ来る町の人たちに一服の清涼を伝えるられるはずだと考えたのだ。

 それはなかなか良いアイデアだったのだが、工事が始るとその準備や手続き、手配などで私は混乱して気が急いたり手違いに翻弄されて体調を崩してしまうのだった。

 入室のためのコロナ、インフルエンザ検査を待つ間、軽トラックのなかで「こりゃ、駄目かな」と感じた。ただ始めてしまった工事を放りだす訳にもいかないし、気は焦るし、身体は痛むし、熱まで出てしまっては一大事だと、関係する方達と話し合って工事費用を滞りなく支払う段取りだけを決めて、どうにか落ち着くことが出来た。ただ気力が落ちて はてさてと頭を抱えるのだ。

 (実を言うと、この原稿も締切りが迫り考えもまとまらずどうしたものかと考えていたのだ)

 そんな時は普段の草刈でもと気散じのつもりで草を刈り始めると、何年もかかって作り上げたチョウの食草の畑が何かに食われている。はてと座り込んで見ると、何だかそれらしい幼虫を見た。私が天候を見誤って羽化させてやれなかった代わりに、ここの大地で育ったチョウが食草に卵を産みそれが育っているのだ。 

 人間のちっぽけな思い込みではなく、大自然にしっかりと根付いた営みに来年へと続く生き物の姿を見た。甲斐の無い行為だと思っていたウスバサイシンの畑の必要性と大切さを感じることができた。

 私の左岸に残したチョウの食草が、これから続く右岸の私の暮らしを指し示しているように錯覚した。チョウが、大変な工事に泣いている私に送ってくれたエールだった。

 草刈機を片付けて立ち上がり、その黒い大きなアゲハチョウの幼虫を探しながら、これなら私もチョウも大丈夫そうだと感じるのだった。

合併から人口25%減の現実、「国破れて山河在り…」

「2050年前後の滅亡は不可避」

清津川に清流を取り戻す会・藤ノ木 信子

 平成の大合併が論議されていた頃、村がなくなると心配する私に長老が「合併しても山や人が変わるわけじゃないよ」と言った。その通り、市町村名が変わっただけで山や隣人は変わっていない。 

 合併の理由は人口減少だった。最近、ある統計学者がネットで「人口動態から国民国家である日本は2050年前後には滅亡は不可避、人民と風土は残るので、別の国家か、被支配か、分裂か…22世紀には5000万人を割り込む」と言って18年前の市町村合併を思い出した。

 合併時の市の人口は6万3000人、現在は4万8000人、25%減だ。乱暴な解析に見えるが、冷静に数字を見ると国家滅亡もあり得る未来だ。

 ニワトリは羽化してから卵を産むまで約150日だから、「お一人様1パック限り」の卵販売もほどなく解消するが、人は生まれてから次の世代交代まで20〜30年かかるので既に失われた30年の挽回は手遅れだ。

 昨年生まれた子供の数は団塊世代の約半分、人口ピラミッドは逆さまだ。出生数が減り世代交代できないと、経済活動はどん底で税収も減り、原発や高速道路・鉄道などのインフラはどんどん老朽化し維持管理も難しく、福祉や年金も破綻するので国家としての行政サービスは成り立たなくなる。

 先週のこの欄で斎木さんが書かれたように人口問題はそのまま人権問題であり、大事なのはすべての人が人権を行使できるかだ。女性を産む機械と言ったり、産まなければ生産性がないと言う価値観ではなく、一人一人の生き方を理解、尊重できる社会が結果として存続できるのだと思う。人口が少ないなら、それに合うよう制度を見直すしかない。

 「このまま人口が減って日本国でなくなってもいいのか?」と聞かれるかもしれない。じゃあ逆に日本国って何なの? 主権者がその代表を選ぶ選挙に参加しないと成立しない民主主義国なのに、選挙のたびに投票率の低さを競っているし、政策も利権がらみの中抜きで税金が適正に使われているように思えない。

 農業を壊して国民は添加物だらけの輸入肉や遺伝子組み換えの穀物を食べて、憲法に触れても自衛隊を戦争当事国に派遣する。誰のための国なんだろう。

 そう遠くない将来、人口減で滅んでしまうかもしれない国に住んでいると思うと、なかなか進まない市議会の定数削減問題も、町村合意で30年前に開発したスキー場利権を不服として今更起こされた市町境の裁判も、何だか(不謹慎かも知れないけど)滑稽に思えてしまう。国破れてもまた山河は変わりないのかな?

首相の「やってる感」の中身は…

軍拡でさらに国民の負担増

年金生活者・斎木 文夫

 5月19日、広島サミットが開かれた。ウクライナからゼレンスキー大統領が駆けつけ、サミットは成功したかに見えた。

 しかし、被爆者団体や、ノーベル平和賞を受賞した「ICAN」たちの思いは届かなかった。ICANの活動家で被爆者でもあるサーロー節子さんは「サミットは失敗だった」と批判した。

 サミット共同文書『核軍縮に関する広島ビジョン』は、核のない世界を目指すと言いつつ、核不拡散を強調し、G7内の核保有、核の傘効果を正当化するものだ。

 6月6日、在留資格のない外国人の帰国を徹底させる「改正入管法案」が成立した。内戦などで日本に逃れてきた人たちが強制帰国させられたら生命を落とす危険がある。

 13日、性的少数者への理解増進を目的とした「LGTBT理解増進法案」が衆院本会議で可決された。2年前の超党派合意案が保守派に配慮して修正され、理念は大きく後退した。16日に成立する見通し。

 会期末の6月21日が迫り「防衛費増額に向けた財源確保法案」の審議が大詰め。今後5年間で防衛費が43兆円必要だという。この数字の根拠が明らでないのに財源論議をするのはむなしい。

 私は前に本欄で「財源でなく軍拡そのものを問うべき」と書き、「政府の少子化対策は的外れ」とも書いた。

 13日に「こども未来戦略方針」が閣議決定された。基本理念は「若い世代の所得を増やす」だが、目玉は児童手当増額で、要するにバラマキだ。

 国連人口基金が4月19日に『2023年の世界人口白書』を公表した。白書は、出生率を政策で操作しようとする国が増えており、女性に悪影響が及ぶと懸念を示している。カネム事務局長の声明は「問うべきは人口が多すぎるか少なすぎるかではなく、全ての人が基本的人権を行使できているかどうか。私たちは女性たちの望みに耳を傾けてこなかった」と。

 現在の少子化は長年の自民党政治のツケで、政府の少子化対策が的外れで失敗に終わるだろうことがよく分かる。

 13日現在、自民党が衆院解散に前のめりだ。

 最近の首相の「やってる感」の中身は前述のとおり、どれも薄っぺらで、理念も財源もあいまいなまま。その責任を免罪しつつ、議席確保をねらう解散なのか。

 ならば、党利党略のために、政治的空白を作り650億円もの選挙費用を使うことの是非も大きな争点となる。もちろん、物価高に無策な点もだ。

電話が怖い、今も昔も

機器に振り回される生活

元ゆずり葉編集委員・松崎 房子

 電波や情報通信は世界を大きく変える。ベルリンの東西を隔てる壁が、壁を難なく超える電波の影響で壊されたのは有名な話。情報を入手できるか否か大きく運命を変える。

 80年余の私の人生でも、電話の変化は大きい。各家庭に電話のある家はほとんどなく、お金持ちか商売をされているお家しかなかった。したがって連絡の電話が来る箏もなかった。

 なぜ公衆電話をかけることになったのかは、全然覚えていないが、送話口に口をつけることも、受話器を耳に当てること、ダイヤルまでも、身長が足りなくて全て届かなかった。電話に全く慣れないまま社会人にはなった。

 新米社員はまず電話を取らされる。怖くて怖くて逃げだしたかった。上司や先輩たちから、手取り、足取り教えてもらって、しどろもどろの状態から何とか脱出できた。

 当時、長距離電話は交換手を通じて申し込まなければ、話せなかった。申し込んで一時間ぐらい? を要し、急ぐときは【ウナ】と言い、それなりに料金も高くなった。電報を使うことも多く電話で打った。一文字一文字を間違えないために、符丁のように伝えた。【朝日のア】【いろはのイ】【上野のウ】【英語のエ】【大阪のオ】【尾張のヲ】、いまだにすらすらと出てくる。

 今ではほとんどの家庭に電話があり(いえでん)、個人が1台、いや2台3台と持っている人もいるとか(携帯)している。

 どこにいようと電話で会話し、連絡を取り合う。とんでもない世の中だ。

 そういう私もガラケー携帯を使っていた。しかしその電波<FOMA>が使えなくなるという。すでに修理期間は終了していて、壊れても修理はできないとか、この機会にスマホに代えることをお勧めします、としつこく催促される。お得な特別プランが用意されていて、まんまと乗ってしまった。 

 ガラケーで電話がかけられれば良い。検索やメールはパソコンでするほうが画面が大きくてよいと固く決めていた筈なのに…、教室へ行って練習する時間が取れないというと、電話をかける事だけできればよろしいのですよという。成る程そうか。

 ガラケーは確かに電話だが、スマホはパソコンだ。日本語でありながら理解できない用語でポンポン質問してくる。何? 何のこと? 今は怖くて、ソーと遠ざけている。PCもガラケーも使えるようになったのには何年か掛かった。その内にね!

夜間議会、休日議会など会社員が立てる仕組みを

明石の湯問題から議会を考える

会社員・村山 朗

 ほめられたことではありませんが、これまで市議会で何をやっているか殆ど関心がありませんでした。議会だよりを見ても議案はほぼ100%賛成で可決されています。その前の段階で根回しが済んでいるからなのか、本会議での議論は白熱しません。

 提出した議案が必ず通ってきた市長・市役所担当者にとって、議会なんぞ、と思う気持ちが心の隅にあったとしても不思議ではありません。

 それが、今回明石の湯の閉鎖・継続の問題では意外(失礼!)に市会議員諸氏が健闘して、継続審議まで持ち込みました。これが吉と出るか凶と出るか、いまのところは分かりませんが、あれだけの素晴らしい施設があるのですから、市内の素人集団に任せずに温泉施設を全国に展開している専門業者に運営を委託して、活性化を図るのはどうでしょうか。是非やっていただきたいです。身近に津南の竜神の館の例もあります。

 ところで、筆者は明石の湯存続に賛成でしたが、筆者が一票を投じた市会議員は閉鎖に賛成しました。間接民主主義の仕組みの中ではやむを得ないことですが、何とも「えーっ、そうなん?」な展開でした。それでも、当市議会では誰がどの議案に賛成したか、反対だったかが一議案ごとに公表されるのでチェックは可能です。

 今年4月の統一地方選挙では、かなり多くの地域で無投票当選がありました。前回の十日町市議会選挙では、直前まで定員割れするかもしれないという状況の中で、直前にYさん、Sさんが出馬して、あやうく無投票を免れ、1票の権利を行使できました。

 地方議会に有権者が無関心になる原因の一つに、議員に勤め人(会社員)が立候補しづらい仕組みがあります。我が議員の顔ぶれを見ても住民の大半を占める会社員の代表は1人もいません。専業でやるには報酬が足りないし、4年後に職場復帰できるかどうかもわかりません。所属する会社の理解も必要です。

 十日町市ではかつて労働組合が会社員代表を担っておりましたが、今はありません。夜間議会、土日議会などを工夫して多数を占める会社員が立候補しやすくなるような仕組みを作るべきではないでしょうか。行政側の対応が難しい、と最初からダメ出しをするのではなく、年4回の議会開催の期間中は市役所職員もシフト勤務を組むとか、工夫できるところは工夫すべきです。

 定数問題はよく話題になりますが、議員立候補の壁を低くすることについても真剣に議論していただきたいと思います。

妻有の地の魅力、AI進歩でも大切なもの

信頼関係を築いていく

経済地理学博士・清水 裕理

 先週は広島でG7が開催され、先進国首脳やゼレンスキー大統領が来日するなか、各地域では田んぼに水が引かれ、田植えの季節が到来、日本の原風景に心が癒されます。

 秋には田んぼが黄金色となり、今年も美味しい新米を食べられることを心から願っています。

 妻有地域には、ほかにも美味なるものが多く、食いしん坊の私には憧れです。今ですと、アスパラを茹でて、シンプルにマヨネーズにつけ、食べたいだけ食べてみたり、雪の下人参の甘さに驚いてみたり…天ぷらにするのも美味で、一緒に新鮮な山菜も、などと考えると、うらやましくなってしまいます。

 地元の子供たちにとって、美味しいお米などそれは当たり前のことでしょうけれど、大人になって他との違いを知ったら、私がうらやむ気持ちが分かるかもしれません。

 そんな美味なるものが多い妻有地域において、農業の振興は重点施策の一つだと思います。産業ではその他に、上下水道などの生活インフラを整備する仕事、交通や物流を支える仕事、地域に密着した介護や育児や教育の仕事などが、地域内でうまく回っていくことが重要だと思います。

 交通に関しては、近々、国の報告書が取りまとめられる予定で、地域交通のことは自分たちで考えて下さい、という内容が強調されています。相当に知恵を絞り、地域に適した方法を確立していかなくてはなりません。その時は、地域内での協力体制が必要です。

 協力については、介護や育児もそうで、いざという時に助け合ったり、融通し合えたりできる家族やご近所や仲間などの存在が、ますます重要になってくると思います。

そんな中、最近、大学生になったばかりの若者と触れ合う機会が多くあり、一昔前と比べて、学校生活で、ネット中心ではなく対面で信頼できる仲間をつくりたいと真剣に考えている学生が増えているように感じました。

 彼らは物心ついた時からスマートフォンを使い、ツイッターやインスタなどのSNSのネット上で交流に長けている世代です。しかし、そのSNSの反動なのか、コロナを体験した心境の変化なのか、時代の必然なのか…フェースツーフェースの対面での交流や信頼関係を築いていくことの大切さを、とても感じているようでした。

 世の中全体の経済や政治、AIの進歩による人類の将来は未だ予測がつきませんが、人として大切にすることは変わらないと思いました。

世界の気候変動が「沈黙の春」をつくるのか?

ギフチョウと共に

秋山郷山房もっきりや・長谷川 好文

 希少動植物の条例が施行された今年の春のせいだろうか、春にギフチョウを追う採集家を見なかった。これでギフチョウも生き延びたかと思っていた。

 25年以上続けていた蝶の保護もそろそろ終わりにしようと思ったこの春、2023年の蝶がひとつも羽化できないのだ。採り尽くされて「沈黙の春」にならないように続けて来た。毎年多くの成虫を野に放した。時には戻って来て肩にとまったこともあった。

 野生の昆虫であるギフチョウは羽化率が低くおよそ5%だともいう。100の卵が5兎(蝶の呼び方)成虫になって飛び出すだけなのだ。それに蝶マニアの網のわなに捕らえられてしまえば、この蝶の行く末は寒々としたことになる。

 津南町や栄村の方の努力で作られた条例が、緩やかな多様性のある地区を作り上げる基礎になるはずだと私は考えていた。

 今年の春は、ここ秋山郷では3月は暖かく4月上旬も暖かかった。蝶はその頃から少しずつ蛹から羽化を始めるものも出て来た。しかしその頃から寒さがぶり返してストーブに火をつける日が続く。一番先に花を咲かすエンゴサクという草は一向に足元に見つけられなかった。例年ならば、この小さな花を見て春になったと思うのだが秋山は寒さの中だった。

 先に蛹から出た成虫の羽根が伸びないまま小さい羽根を震わせて動かなくなって行った。まだまだ先だと思っていたのだが、昨年の卵は蛹になって脱皮することを得ず、毎日毎日、小さい羽根を振るわせて一生を終えていった。

 蛹のまま軽くなってしまう個体も多くなっていった。これは私の蝶に対しての対応の悪さなのかと気持ちが萎えて行く。まるで私が殺してしまったような罪悪感だけが残った。同じ蝶の愛好家で農学博士の知り合いに訊いてみるのだが答は出てこない。25年続いたギフチョウの保護活動がこの春に途切れたことだけが心に残った。

 本来、保護する蝶の世界を学ばないで、毎年こうして羽化させた自画自賛が自然界の現実の前に消えて行ったのだ。勿論世界的な気候変動がベースにあるのだろうが、責任をそれだけで括れないのも事実だが、毎年続けたギフチョウという小さい生き物と係わって自分が感じた世界の気候の危機なのだと身体で思い知った事でもあった。

 小さな草花も、小さな蝶も、カエルやカモシカ、鳥や熊でさえこの環境の厳しさが影響している。いわんやこの地球で暮らす人間をも取り巻いているのだと思う。

 世界人口が80億になりまだ増えると言われるなか、世界各地で起る火災や、暴風雨、水害に巻き込まれる人間や動植物を本気で考えて行かねばならないことなのだろう。

 ただ、5月10日、私は1兎のギフチョウの飛ぶ姿を呆然と見ていた。このたったひとつの蝶がここまで飛んで来て、私が作った「ウスバサイシン」の畑を探し出して欲しいと祈った。

「植物を愛すれば世界中から争いがなくなる」

カメさんの火種入れ

清津川に清流を取り戻す会・藤ノ木信子

5月13日号 オピニオン写真 キセル用火種入れsn.jpg

 報道の自由度ランキングG7中で最下位の日本では、番組制作が大本営発表のように単調になってつまらないので、最近はほとんどテレビを見ない。と言いたいがNHKニュースと朝の連続ドラマは習慣で見ている。(払った受信料分くらい見ないとね)

 ニュースは報道の偏りを確かめるために見ているようなもので、憲法記念日に2万5000人もの人が集まった憲法大会のことも公平に報道してほしいなぁと呟く。憲法を変える必要があるのか疑問に思う人も多いのに、だんだん都合のいいことしか報道しなくなっていくみたい。

 国の安全保障の根幹を揺るがすことを閣議決定で決めてしまい、目隠しをされているようなニュースの一方で、朝ドラでは主人公の人生が戦争に狂わされるストーリーが多い。実際に戦中戦後を生きた人はみんな辛い思いをしたからで、ドラマでは避けて描けない。他人事で済まない国民総悲劇が戦争だ。

 そんな戦争を知らない私が若い頃に山歩きをする時、ボロボロになっても携帯していたのが牧野富太郎の植物図鑑だった。牧野図鑑は着色しない植物画と解説で、それでも種類の同定ができるほど緻密に観察された頼りになる逸品だ。今の私の自然環境への関心はあの頃に根っこがある。

 破天荒な生き方をした牧野氏は「植物を愛すれば世界中から争いがなくなる」と言っていたそうだ。だから脚色され過ぎでも「らんまん」をドラマとして楽しんでいる。

 そうそう、最近テレビが役に立ったと思ったことがもう一つある。仏壇の奥に長細い真っ黒な箱があって、その中に入っていたのが写真の道具だ。(写真・火種入れ)

 随分古いもので私には何に使うものか分らなかった。仏具かなぁ…墨入れかなぁ…ある日、片手間に見ていたテレビの時代劇で、この道具の中の火種でキセルを使うシーンがあって、頭の中で分からなかったことが線になって繋がった。そうか! 火種入れか…「カメ婆さんが、じろの端をキセルでトーンとはたいて…」と義母が先々代のことを話してたっけ…ということは、これはカメ婆さんが使っていた遺品で、だから仏壇にしまってあったんだ。長い箱はキセルが入る長さだったんだ。 

 会ったことのない先々代が急にリアルに思えると同時に、記憶は70〜80年すると消えてしまって誰も覚えてないんだと思った。ここにカメと言う人がいて、どっこい生きていたことを誰も知らない。今年は戦後78年、戦争の記憶は消えてしまってないか? 誰も覚えていない戦前が今のようだったのではないか?

的外れな少子化対策、止まらない人口減少

若者が求める「多様性」

年金生活者・斎木 文夫

 4月26日に明石の湯の存続が決まった。市は、明石の湯を元の姿に戻し、市民と議会を混乱させたことの謝罪をすべきだ。6月議会では、責任の所在を明らかにし、芸術祭の意義について改めて議論を深めてほしい。

 さて、本紙でもたびたび取り上げているように、人口減少が止まらない。

 社会保障・人口問題研究所によると日本の人口は50年後に現在の7割に減少する。毎年山梨県に相当する80万人が減っていく計算だ。

 政府は3月31日に「異次元の少子化対策」たたき台を公表した。①経済的支援、②子育て家庭へのサービスの拡充、③働き方改革の推進の柱に沿った具体策を上げている。児童手当や奨学金の拡充など、相変わらずの給付、ばらまき中心で、「異次元」には程遠い。

 財源について首相は、6月に大枠を示すと繰り返すばかり。25日の令和臨調の提言は、財源は税を基軸に、社会保険料での負担もやむなしということのようだ。増税は勘弁してほしいし、年金や医療保険のための社会保険料を少子化対策に使うなんて、許されるのか。

 そもそもこのたたき台は、少子化対策でなく子育て支援策ではないのか。少子化の直接的原因は、若者の晩婚化と非婚化にあるというのに。

 本紙1月14日社説で少子化問題を取り上げていた。その中でお茶の水女子大・永瀬教授の論考を紹介している。若い非正規労働者が増え、子どもを持つ未来が描きにくくなっている。それが結婚を望まない女性増加の原因だというものだ。

 そのとおりだと思う。ただ、結婚は少子化対策か。3月9日の参議院予算委員会公聴会で東京女学園大・大日向学長が発言している。「結婚は、愛する人と人生をともにするためにすべきものであって少子化対策ではありません。」

 結婚する人もしない人も、子どもを持つ人も持たない人も、男性も女性も、多様な生き方が認められ、自分らしく生きられる社会の実現も、有効な少子化対策であろう。

非正規雇用者でも将来の不安なく結婚できる社会、国民が多様な生き方ができる社会—これは政府・与党が考えたくない日本の未来なのだろう。防衛問題同様、根本を見ずに財源確保に熱を上げるのはその証拠だ。

 さらに、人口が減っても地域を存続させるための方策を打ち立てなければならない。この地では、雪対策や、過疎ならぬ「適疎」のまちづくりなどが講じられるべきだ。それはまたの機会に。

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